じゅのくんを見たいから、わたしはコンサートに行く。
せっかくのタイミングを持ったのでログっておこう。
実は、2013年の夏、キミの声ツアーが終わってから体調を崩したわたしは、風邪が治らず、扁桃腺が腫れ高熱が続き、そのまま、世界4大医学雑誌に載っちゃうような珍しくて面倒くさい病気になってしまい、入院をして手術をした。
手術は10月初め、その後はもう本当に大変だった。
ICUでリアル生死を彷徨ったとか(もちろんわたしは覚えていない)、麻酔から覚め、意識戻ってからの記憶も曖昧で、そんな状態だったのに、のちに母に「じゅのくんが黄色で…」って言ってたよ、と言われたとか。
(高熱で頭の中から原色の幾何学模様が消えなくて、そんな状態なのに「黄色…」て思ったことは覚えているから、その時のうわごとだったんだと思う。)
ちょうどWinter Games発売の頃が、意識不明(てか、意図的に麻酔をかけられ意識を落とされてた)の頃だった。だから、看病の為上京してた母に、次々送られてくるCD達、同じCDを10枚どころじゃない買ってるって事実がバレてしまった。
普通だったら怒られ、呆れられるだろう状況なのに、積み重ねられたCD達を見て、母は「かわいそうに…元気だったら聴けたのに…」と涙していたとか(妹談)。
(ちなみに、ファミマ受け取りにしてた5枚くらいは、取りに行かなかったら全部流されました。)
友達にあげるために、CDからタッチ券を出して、誰が出たかメールしてと妹に言ったら、「うやんぐさんと、てくどんさんと、じゅんほさん」と返事が来たとか。
そのあたりのお話や、その後、わたしが託したじゅんほさんタッチ券による、友人のステキサプライズのじゅのの対応とかもなかなか面白いのですが、それはまた別の機会に書くとして。
とにかく、無事回復し3ヶ月後に退院したものの、息して、生きてるだけで精一杯、コンサートなんて行ける状況ではなかった。
2月3月は、やっと職場復帰して、仕事に行く以外、一切外出しなかった(ここでがっつりお金貯めました。←余談)
だからGenesisの福岡、横浜は行かず、相方に支えられながら、それでも代々木のオーラスだけは何とか行った。
でも、基本、またコンサートを見れた感動(本当に「生きてまた見れて良かった…!!!」のレベル)で、かつ、基本会場に行っただけで疲れ果てていたので、何も覚えてない…。
そしてGenesisは、私の中では無かったことになった…。←
その後の兄さんのソロツアーも、スタンディングや、遠くまで行くことは無理だからあきらめた。
Feelも同じだった。
じゅのくんが2度目のソロをすることは風の噂で知っていたけれど、まだまだわたしには、アイドルに力を注ぎこむ余裕なんてなかった。
相変わらず、毎日、生きて、息して、仕事に行くだけで精いっぱい。
ツイッターも見ていなかったから何が起こっているのか分からなかったし、テレビもあんまり見てなかったから、露出を追うこともなかった。
それでも、フォーラムは行くかもしれない、とチケットを取っておいた。そしたら12列だったかな、いい席が来たんだ。嬉しくて、コンサートに行く気になった(だからそこは所詮ヲタ)
あれは8月のめざましにじゅのくんが出演した日だった。
当然、体力的にそんなものには行けないわたしは、その日も普通に出勤。
でも、仕事帰りに、一緒に行く知人にチケットを渡すことにしていた。
久しぶりのヲタごとでの外出だった。嬉しくて、出勤の時、歩きながら歌を歌ってみることにした。これも病気以来初めて。ほぼ1年ぶり。
駅のホームで원점으로を歌ってみた。
そもそも、歌を聴くなんて高度なことも、その2週間前くらいに再開したばかりだった。(基本、電車の中でもひたすら呼吸しているだけ、音楽聴いたりあいぽん扱うなんて、夢のまた夢でした…orz)
病気の経験は、そこまでわたしから、いろんな余裕を奪っていた。
でも원점으로。1番を歌い切る前に、私は息苦しくなり歌うことをやめてしまった。
その頃のわたしは、心肺機能の低下のせいで、ゆっくり歩いていても息切れする、走ることなんて絶対無理、なんて状態だったから。歩きながら歌えるはずなんてなかった。
とても、とても悲しくなった。自分でいうのもアレだけど、音楽が流れるとついつい体が動いちゃう。ライブも飛び跳ねながら一緒に歌っていたわたし。
あぁ、もう、昔のようには戻れないのかな…どうしてこんなことになっちゃったんだろう…。とてもとても悲しくなって、歩きながら少し泣いた。(思い出したら今も泣きそう…。)
でも、悲しくなっても仕方ない、と、なんとか気持ちを切り替えたのを、今でもよく覚えている。
そして1年ぶりのじゅののコンサート。臨んだ国際フォーラム。楽しかった。ただひたすら楽しかった。
そして気付いたことがある。
それまでのわたしは、コンサートに行くことをなんだか難しく考えていた。
行かなきゃいけないという義務感(!)はもちろん、友達や、他のはれすの皆様とのしがらみやなんやら。
でも、そんなのは関係ないんだな、って思った。
わたしはじゅのくんが見たい。歌声を聴きたい。踊っている姿を見たい。だからコンサートに行く。
その、シンプルな気持ちだけでいいんじゃないかって思った。
その証拠に、ステージの上には、わたしの見たかった、歌声を聴きたかった、踊るじゅのくんがいた。とてもキラキラとしていた。
それだけで充分だって思った。
じゅのくんと観客は、1対1で対峙している。(や、実際には、1対8000くらいだけど笑)
じゅのくんは歌いたいから、踊りたいからステージにいる。
わたしはその姿が見たいから、客席にいる。
それが全てで、それだけで充分、実はすごくシンプルなことなんだ、って気付いた瞬間だった。
フォーラムでそんなことを思ったわたしは、もう一度じゅのくんを見たいと思った。単純に、じゅのくんの姿を見たかった。歌が聴きたかった。
だからそこからチケットを探した。幸運にも武道館初日を譲っていただけることになり、チケットをゲットした。これもまた、病気後、人が怖くなってしまっていたわたしにとっては大きな挑戦だった。
でも、なんとかうまくこなせて安心した。
そして武道館初日。
その頃はまだツイッターも見ていなかったので、サプライズとか全く知らなかった。あの、武道館をペンラで6色に染めた例のアレ。
アリーナに居たわたしは、突然スタンドのペンライトの色が変わり始めたのを見て、最初、戸惑った。
「サプライズ?そんなの説明されてないし、説明用紙ももらってないよー」って。
でも、周囲を見て、自分は黄色でいいんだって分かってとても安心した笑。
そして、何の事前情報もなく見たサプライズの6色の客席を見て、涙があふれた。
とても、とても綺麗だった。
その客席に気付いたじゅのくんも、後ろ姿のまま親指を立て、ありがとう!って合図をしていた。
そして、ふっと思った。あぁ、きっと、じゅのくんも、今のわたしと同じ気持ちなんだろうなぁって。
何も知らずにいたら、突然広がった6色のペンライトの海。
とても驚いたけど、感動した。そこは、ただただひたすら綺麗な景色だった。
そのときのわたしは、そのサプライズが揉めていたことも全く知らなかったから、ただ綺麗な景色だけを受けとめられた。きっと、じゅのくんそうだったんだろう。そして、サプライズを受ける、じゅのくんはじめぴえむメンは、いつもそうなんだろう。
この時、何の情報も持たず見た、ただただ綺麗なだけだった6色の海を、わたしはずっと忘れないと思う。
じゅのくんを見たいから、歌が聴きたいから、わたしはじゅのくんのコンサートに行く。
この時の気持ちが、病気から復帰後のわたしの原点になった。
その後も紆余曲折はあった。
参加したFeelツアーの2回とも、体力的な問題で半分以上座っていた。
だから、また、以前みたいに、ライブでぴょんぴょん飛び跳ねたいと思い、リハビリを頑張った。うまくいかなくて泣いちゃったこともあったけど、時間という偉大な薬のおかげもあり、わたしは、ちゃんと回復することが出来た。
初めてのスタンディング復帰は、うよんコン。後ろのほうで、ずっと柵にしがみついていたけれど、リタイヤすることなく最後までちゃんとスタンディングで楽しめた。
これは本当に大きな自信になった。
そして臨んだLAST NIGHT TOUR。
本当に本当に本当に楽しかった。スタンディングに参加出来て、ぴょんぴょん跳べて嬉しかった。しかもそれをじゅのくんに気付いてもらえた。これ以上の幸せはない。
素敵な友人たちに恵まれたこともあり、今思い出しても、一生忘れない、楽しい、美しい思い出だ。(じゅのくん風w)
とにかく、物事はシンプルだ。
いろんな気持ちや人間関係、情報や事実に押しつぶされそうになると、わたしはあの時の気持ちを思い出す。
じゅのくんを見たいから、歌が聴きたいから、わたしはじゅのくんのコンサートに行く。
見に行けることの幸せ、そして、じゅのくんがそこにいてくれることの幸せ。
この気持ちを、これからもずっと、忘れないでいようと思う。